(※2021年3月5日に公開。2025年10月2日に記事内容をアップデートいたしました。)
2021年3月5日 公開
2025年10月2日更新
本コラムでは、タイの労働者保護法における「賃金」の基本的な考え方と、その運用ルールをわかりやすく整理しています。
賃金の定義や支払方法といった基本事項から、休日賃金や控除の取り扱い、最低賃金制度や時間外労働の計算方法まで、労務管理の実務に直結するポイントを幅広く取り上げています。
タイにおける「賃金」とは
■「賃金」とは
タイにおける「賃金」は、労働者保護法(以下、「LPA」といいます。)の第5条にて定義がされています。
この定義は大変読みづらいのですが、ひとまず、
賃金=所定労働時間内の労働に対して支払われる対価
と理解しておけばよいでしょう。
■賃金に該当するもの
タイでも、会社は従業員に対し、基本給以外に、時間外労働手当、賞与、各種手当などを支払っています。
賃金は、時間外労働手当などの額を算定するための基礎となります。そのため、会社が支払っている金銭のうち、何が賃金に該当するかが問題となります。
そして、賃金に該当するかは、その支払の名目のみならず、目的、支払の定期性、額の固定性などの事情を考慮して、「実質的に見て、所定労働時間内の労働に対して支払われる対価かどうか」という観点から判断されます。
よくご相談を受けるものをいくつか挙げると、以下のとおりとなります。
【時間外労働手当、休日労働手当、休日時間外労働手当】
これらの手当は、所定労働時間外の労働に対して支払われるものであるため、賃金に該当しません。
【賞与】
一般的には、賞与は支払の有無や額が会社の業績や裁量に依存する設計になっており、奨励的な性質のものと理解されています。したがって、労働の対価ではなく、賃金に該当しません。
ただし、賞与の支払の有無や額について会社に裁量の余地がない場合、所定労働時間内の労働の対価(の一部)の後払いとして賃金に該当すると評価される可能性があります。
【通勤手当】
タイでは、「通勤手当」といった名目で通勤費を支払っている会社も少なくありません。
通勤手当の額が各従業員の個別の通勤費用に応じて異なる場合、これは労働の対価ではなく、通勤費用のサポートと評価できるため賃金に該当しません。
ただし、通勤手当という名目で支払われていても、各従業員の通勤費用にかかわらず全従業員に同一額を払っているような場合には、実質的には労働の対価として、賃金に該当すると評価される可能性があります。
【役職手当】
タイでは、「マネージャー手当」といった名目でポジションに応じた手当が支給されることがあります。
このような手当は、一般的に、そのポジションに伴う責務に対する報酬と評価され、所定労働時間内の労働の対価として、賃金に該当します。
■賃金支払いに関する原則
タイでは、賃金や時間外手当など雇用に関する金銭的給付は、労働者の書面等による明示的な同意がない限り、タイ通貨で支払う必要があります(LPA54条、77条)。また、同様の明示の同意がない限り、これらの支払いは、勤務場所で行う必要があるため、銀行振込の場合には注意が必要です(LPA55条、77条)。
さらに、1か月以下の期間で計算される賃金や時間外手当は、少なくとも毎月1回支払わなければならず(LPA70条1項1号、3号)、それ以外の賃金については会社と従業員の合意で支払期間を定めることができます(同2号)。
休日の賃金支払義務
日本とタイで大きく異なる点の一つが、タイでは休日にも賃金が発生し、会社はその支払義務を負う場合があるという点です(LPA56条)。
まず、タイの多くの企業は月給制を採用しているところ、月給制の場合、週休日・祝日いずれにも、賃金が発生します。もっとも、従業員との間で合意された月給額にはこれら休日分の賃金も含まれていると理解できるため、その月給額を支払っていれば、その月給とは別個に休日分の賃金を支払う必要はありません。
他方、月給制の場合と異なり、日給制・時給制・出来高払制の場合、週休日には賃金を支払う必要はないものの、祝日には賃金を支払う必要があります。そのため、月給制の場合のように月給を払えば足りるというものではなく、例えば、日額1,000バーツの日給制の従業員について、ある月が、労働日20日、週休日8日、祝日2日であった場合、その月の賃金額は合計22,000バーツとなります(労働日20日分、及び、祝日2日分)。
賃金等からの控除の制限
日本と同様に、原則として、賃金、時間外労働手当、休日労働手当、休日時間外労働手当から何らかの控除(天引き)をすることは禁止されています(LPA76条)。
ただし、以下の場合、例外的に控除が認められます。
【賃金等からの控除が認められるもの】
(1) 従業員が支払うべき所得税その他法律上支払義務が定められているもの
(2) 労働組合の規約に基づく労働組合費
(3) 貯蓄協同組合もしくは同種の他の協同組合に対する債務、又は、もっぱら従業員の利益となる債務(※事前の同意が必要)
(4) LPA10条に基づく保証金、又は、従業員の故意もしくは重過失により会社が被った損害の賠償金(※事前の同意が必要)
(5) プロビデント・ファンド(退職積立基金)に関する合意に基づく積立金
(1)の例として、社会保険料、労災保険料等があります。
(3)の「もっぱら従業員の利益となる債務」の典型例は、従業員の私的な理由による無利息の会社からの借入です。他方、利息を付していると会社の利益にもなるため、「もっぱら従業員の利益」とは言えません。
注意が必要なのは、(3)と(4)を控除するためには、従業員から事前に同意を取得しなければならないことです(LPA76条1項(3)(4))。
また、(2)(3)(4)(5)の各項目の控除額は、従業員から事前に書面による同意を得た場合を除き、それぞれが賃金の10%を超えてはならず、かつ、合計で5分の1を超えてはいけません(LPA76条2項)。
最低賃金
タイにも、日本と同様、従業員に対して支払うべき最低賃金が存在します。
タイにおける最低賃金は、主に、
- 地域別最低賃金:地域ごとに設定される最低賃金
- 職能別最低賃金:特定の技能基準に応じた最低賃金
の2種類があります。
■地域別最低賃金
2025年1月時点では、バンコク都、プーケット県、チャチュンサオ県、チョンブリー県、ラヨーン県、サムイ島において、地域別最低賃金として最高の日額400バーツとなっており、その他は日額337〜380バーツの範囲で設定されています。
ただし、特定の事業や職種に対して、地域を問わず一律の最低賃金が設定される場合があることに注意が必要です。例えば、ホテル業(2つ星以上、又は客室数50室以上のホテル)や、ホテル内施設(レストラン、カラオケ、パブ等)については、地域を問わず一律で日額400バーツを最低賃金とする特例が導入されています。
■職能別最低賃金
対象となる技能基準は多数あり(200以上)、例えば、電気自動車整備技術者、自動車車体技術者、コンピュータネットワーク管理者などが該当し、技能レベルに応じて最低賃金額が定められています。
なお、地域別最低賃金と職能別最低賃金の額が異なる場合、最低賃金が一定の条件を満たす場合の下限を定めるものである以上、いずれの条件も満たすときには高い方の賃金額を支払うべきでしょう。
時間外労働手当、休日労働手当、休日時間外労働手当
■時間外労働、休日労働、休日時間外労働
タイでも日本と同様、従業員が残業や休日出勤をした場合、追加的な支払をする必要があります。追加的な支払が発生するのは、次の3つの場合です。なお、日本と異なり、深夜労働に対する追加的な支払は発生しません。
■時間外労働手当(LPA61条)
従業員が所定労働時間外に労働した場合、その時間分、通常の賃金の1.5倍の額の時間外労働手当を支払う必要があります。
月給制や時間給制などの給与形態を問わず、所定労働時間外には「賃金」は発生せず、この時間外労働に対して支払うべきものは、時間外労働「手当」だけです。
■休日労働手当(LPA62条)
前述のとおり、月給制では、週休日・祝日いずれも賃金が発生しますが、日給制・時給制・出来高払制では、祝日のみ賃金が発生します。休日労働手当は「その休日に賃金が発生するか否か」で金額が変わります。
具体的には、休日に賃金が発生する場合(月給制や日給制等で祝日に労働する場合)、会社は、この通常の「賃金」に加え、休日の労働時間に応じた賃金相当額を休日労働「手当」として支払う必要があり、結果として、従業員は通常の2倍の額の対価を受け取ることができます。
他方、休日に賃金が発生しない場合(日給制等で週休日に労働する場合)は、休日の労働時間について、賃金の2倍の休日労働手当を支払う必要があります。
■休日時間外労働手当(LPA63条)
休日、かつ、労働日における所定労働時間外に労働した場合、給与形態を問わず、休日の時間外労働には賃金は発生せず、その時間については、通常の賃金の3倍の時間外労働手当のみを支払う必要があります。
【時間外労働手当等の額】
項目 | 賃金の支払義務 | 手当 | 支給合計 | |
時間外労働 | なし | 1.5倍 | 1.5倍 | |
休日労働 | 休日に賃金が発生する場合 | あり(1倍) | 1倍 | 2倍 |
休日に賃金が発生しない場合 | なし | 2倍 | 2倍 | |
休日時間外労働 | なし | 3倍 | 3倍 |
■基礎となる時給の算出方法
時間外労働手当、休日労働手当、休日時間外労働手当は、その労働時間に応じて発生するため、その計算をするには時給額を算出する必要があります。
月給制における時給の算出方法は、以下のとおりです(LPA68条)。
時給=月単位の「賃金」÷(30×所定労働日1日の労働時間数)
例えば、月の賃金が24,000バーツ、所定労働時間が1日8時間の場合、24,000÷240(30×8)で時給100バーツとなります。
■時間外労働時間の管理
タイでは、所定労働時間外の労働について、1分単位ではなく、まとまった時間単位(5分、15分など)で管理している会社がみられます。しかしながら、判例上、労働時間は1分単位で管理しなければなりません。
そのため、このような時間管理は、切上げによって従業員にとって有利に運用されているのであれば問題ないですが、切捨ては従業員に不利な運用として問題となるため、避けましょう。
■時間外労働手当などを支払わなくてよい場合
以下の従業員には、例外的に、時間外労働手当などを支払う必要がありません(LPA65条、66条)。
時間外労働手当 休日時間外労働手当 | (1)雇用、賞与支給、又は解雇について使用者を代理する権限のある従業員 (2)商品の移動販売又は営業を行い、使用者が販売手数料を受領する業務に従事する従業員 (3)鉄道業務(鉄道の乗務員及び運行補助)に従事する従業員 (4)水門及び排水門の開閉に従事する従業員 (5)水位及び水量の測定に従事する従業員 (6)消防又は公害防止に従事する従業員 (7)業務の性質又は条件上、事業所の外で業務を行う必要があり、就業時間を定めることができない従業員(自宅に待機し、特定の事象が生じた場合に現場対応をする保険会社の従業員など) (8)場所又は財産の監視で労働者の通常の業務でない場合 (9)その他労働省令で定める業務に従事する従業員(陸上輸送業務) |
休日労働手当 | 雇用、賞与支給、又は解雇について使用者を代理する権限のある従業員 |
このうち、⑴の「雇用、賞与支給、又は解雇について使用者を代理する権限のある従業員」かは問題となりやすく、マネージャーなど上級のポジションには時間外労働手当などが不要と勘違いされている会社がしばしばみられます。
しかし、裁判所は、この要件の該当性を厳しく評価する傾向にあるため、⑴の従業員に当たるか否かは、ポジションではなく、実際の職務権限などを慎重に吟味して判断する必要があります(取締役の決裁なしに独断で従業員の採用や解雇を決定できる従業員などは該当すると考えられますが、そのような従業員は極めて少数と思われます)。
■時間外労働手当に関する相談事例
時間外労働については、よくご相談を受けるものをいくつか挙げると、以下のとおりとなります。
【所定労働時間外の出張時の移動時間】
従業員が所定労働時間外に出張のための移動をした場合、その移動時間について時間外労働手当を支払う必要はありません(LPA72条)。
【会社の承諾なしに従業員が時間外労働をした場合】
時間外労働は、会社と従業員の同意によって行われる必要があります(LPA24条)。そのため、従業員が会社の承諾を得ずに時間外労働をした場合、会社は時間外労働手当を支払う必要はありません。
もっとも、このような状態が恒常化し、会社が黙示的に承諾を与えていたと評価されてしまうことがないように、時間外労働の際の申請手順を厳守させることや、勝手に残業している従業員には帰宅を促すなどして、承諾のない残業をゼロにすることが大切です。
【始業時間から終業時間までの枠を超えて労働をした場合】
タイでは、時間外労働か否かは、所定の始業時間から終業時間までの枠の範囲内か否かで判断されます。
例えば、所定労働時間が午前8時から午後5時(昼休み1時間)の会社で、従業員が2時間遅刻をしたため、会社の指示で午後7時まで勤務したとします。この場合、その日の労働時間は8時間以内ではあるものの、終業時間の午後5時を超えて労働した2時間は時間外労働と評価され、時間外労働手当を支払う必要があります。
以上、賃金に関する理解は、最も重要な労務管理マターの一つです。この点について間違った運用をしていると、従業員の不平不満が溜まったり、時間外労働手当など予想外の支払が発生したりするなど、労使トラブルの大きな原因となりかねません。是非、本コラムを参考にして、正しい賃金等の支払いを心がけてください。