
執筆:弁護士 髙林 寧人 (フィンテックチーム)
みなし残業代(固定残業代や定額残業代とも称されますが、本記事では、「みなし残業代」と称して論を進めます。)制度については、導入している企業が多く存在しております。
しかしながら、みなし残業代制度は、労働基準法が定めている制度ではないこともあり、これが適法となる要件については、裁判上で示されているにとどまっており、必ずしも明確とはいえません。
そのため、企業においては、個別具体的な裁判例を確認したうえで、みなし残業代制度の導入・運用を検討することが望ましいですが、判例の変遷などもあって理解が容易でないところでもあります。
そこで、本記事においては、みなし残業代の法的な理解を概論したうえで、望まれる制度設計についても解説します。
1 みなし残業代とは
みなし残業代制度とは、残業時間数にかかわらず、一定額をあらかじめ残業代名目で支給する制度のことをいいます。
みなし残業代制度においては、定額の残業代を超える残業代が発生しない限りは、いくら残業をしても給与が増加しませんので、いわゆる「だらだら残業」の抑止を期待できます。また、使用者側においては、定額分を既支給とすることから後に残業代を請求されるリスクを低減できる効果や、求人広告において額面給与を高く見せることができるという印象面での効果も期待できます。
他方で、使用者側においては、みなし残業代制度を採用しても、労働基準法の定めに基づき算定した割増賃金の金額がみなし残業代を超える場合には当該超過分を支払わなければなりませんので、本来支払うべき残業代よりも高額な人件費を固定的に支出するというリスクも生じます。また、事後的にみなし残業代制度が無効とされた場合、企業側としては、時間外割増賃金を全く支払っていないことになりますし、みなし残業代部分が割増賃金の計算基礎となる賃金(労働基準法第37条第1項、労働基準法施行規則第21条)に組み込まれることになることから、その分1時間当たりの単価が上がることとなります(例えば、基本給が20万円、みなし残業手当が10万円と設定されていた場合、みなし残業手当が残業代と認定されれば、割増賃金は、基本給20万円を基礎賃金として計算しますが、もし残業代と認定されないと、割増賃金は、基本給20万円とみなし残業手当10万円の合計30万円を基礎賃金として計算することになります。)。さらに、訴訟化してしまうと、未払残業代全額を上限とする付加金の制裁(労働基準法第114条)を受けるリスクも生じます。
そのため、企業側として、みなし残業代制度を導入する前の段階でどのような場合にみなし残業代の支払が適法と認められるかについて理解しておくことが重要といえます。
2 どのような場合にみなし残業代の支払が適法と認められるか
(1) 総論
みなし残業制度は、労働者に支払われる基本給や諸手当にあらかじめ含めることにより割増賃金を支払うという方法ですが、これ自体は、直ちに労働基準法第37条に反するものではありません。
もっとも、「残業代はみなし残業代として支払っているのであるから割増賃金の支払義務は生じない。」と主張して労働基準法の定めに基づいて算定した割増賃金(超過分)を支払わない企業が後を絶ちませんでした。
そのため、みなし残業代として適法か否かが多くの裁判で争われた経緯があり、現在では、みなし残業代を割増賃金の全部又は一部に充てるためには、以下の2つの要件をみたす必要があるとされています。
①明確区分性:所定内賃金部分と割増賃金部分とを明瞭に判別できること
②対価性:時間外労働や深夜労働の対価の趣旨で支払われていること(割増賃金として支払う合意があること)
上記の2要件をみたす場合には、みなし残業代として適法であり、逆に、いずれか一つでも欠ける場合には、違法ということになります。
なお、日本ケミカル事件判決(最一小判平成30年7月19日労判1186号5頁)からは、みなし残業代で支払われなかった部分の清算の合意や清算の実質があること(いわゆる差額支払合意)については、独立の要件ではないと解されます。
(2) 各論
ア ①明確区分性
みなし残業代制度が有効であると認められるためには、まず、みなし残業代制度に基づき算定される定額残業代の金額が労働基準法第37条及び労働基準法施行規則所定の割増賃金を下回らないことが大前提となります。そして、基本給とみなし残業代部分とを明確に区分できなければ、法が定める以上の残業代を支払っているのか否かの検証が不能となりますので、残業代の支払方法としては不適法となります。
特に、基本給に割増賃金を組み込む類型において問題となります。
残業代として支払われる金額とその他の部分がどの程度明確に区分されるべきか、具体的に、みなし残業代の対象となる「金額」と「残業時間数」の双方が明示されていなければ明確区分性が否定されるのかについては、見解が分かれています。
この点については、少なくともみなし残業代の対象となる金額又は残業時間数のいずれかが明示されており、かつ、所定労働時間数が特定されているのであれば、明示されているいずれかの数値に基づきみなし残業代の対象となる残業時間数及び金額を計算することは可能であり、すなわち、基本給部分とみなし残業代部分の区別も可能となるはずです。
そのため、必ずしも、「金額」と「残業時間数」の双方の明示までは不要と考えます(上記日本ケミカル事件判決においても、「月額562,500円(残業手当含む)」「業務手当101,000みなし時間外手当」などの記載のみで時間数の記載はありませんでしたが、当該業務手当の支払をもって時間外労働等に対する賃金の支払とみることができる、とされています。)。
イ ②対価性
①明瞭区分性の問題をクリアできていたとしても、その賃金が「残業の対価としての性質」を有していると認められる必要があります。
特に、基本給とは別途に割増賃金に代わる手当等を定額で支給する類型において、これが時間外労働手当の趣旨で支給されたものであるか否が問題となります(例えば、「精勤手当」などという名目で支給している場合にこれが残業の対価として支給される性質であるのか否かが問題となります。)。
上記日本ケミカル事件判決は、「ある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである。」としています。
このように、上記日本ケミカル事件判決は、みなし残業代について対価性の有無を判断するにあたっては、契約解釈、すなわち当事者間の合意内容の解釈の問題としていますが、労働者の実際の労働時間という事情が具体的にどのようにして考慮されるのかについては、必ずしも明確ではありません。少なくとも、同判決によれば、契約書の記載内容や使用者からの説明内容のみでは対価性を認定するに足りない場合もあり得ることとなりますので、使用者側はこの点に留意する必要があるといえます。
3 みなし残業代制度の設計
事後的にみなし残業代制度が無効とされた場合、企業側としては、時間外割増賃金を全く支払っていないことになるなどのリスクが生じます。企業側としては、このようなリスクを避けるため、有効な制度設計をする必要があります。
まず、精勤手当など、基本給とは別途に割増賃金に代わる手当等を定額で支給する類型とすることで、①明確区分性の要件を比較的みたしやすくなります。加えて、就業規則に「●●手当は、月単位の固定的な時間外手当の内払いとして支払う」旨を明記し、雇用契約書、労働条件通知書等にも「●●手当(残業内払)」と明記することで、当該手当が割増賃金の対価であることを明確にすることが有効と考えられます(②対価性要件)。
次に、「基本給●円(月額固定給・残業手当込み)」などと雇用契約書に記載している場合には、①明確区分性の要件との関係が問題となり易いですので、「基本給●円(月額固定給・月●時間の残業手当としての●円を含む)」などの記載が望ましいといえます。なお、みなし残業手当に含まれる時間は何時間まで許されるかということが問題になりますが、労働基準法第36条で規定する原則的な時間外労働の上限が年間360時間でありこれを12カ月で除すると月間30時間になりますので、最も推奨されるのは月間30時間といえます。
最後に、上記日本ケミカル事件判決からは、みなし残業代で支払われなかった部分の清算の合意や清算の実質があること(いわゆる差額支払合意)については、独立の要件ではないと解されますが、差額支払合意や差額支払実態の存在がみなし残業代の有効性を判断する上での事情として評価され得ます。差額支払実態がないことは②対価性を否定する事情になり得るといえますので、この点にも留意する必要があるといえます。
4 終わりに
昨今、職業安定法において、基本給と誤解させるような不適切な内容の求人広告への規制が強化され、求人広告において給与の額面を高く見せるという印象効果には疑義も生じます。また、みなし残業代制度を定めた場合であっても、使用者は、労働者の労働時間を把握する義務を負うことに変わりはありませんし、みなし残業代の対象となる残業時間数を上回る残業が発生した場合にはその上乗せ分の残業代の支払義務がありますので、給与計算事務を免れるという訳でもありません。
また、みなし残業代の有効性の問題は、個々の社員との範囲に収まらず、当該制度が適用される全労働者との関係で問題となってきますので、制度設計や運用を誤ってみなし残業代の有効性が否定された場合の使用者の経済的損失は、甚大になりかねません。
企業においては、みなし残業代制度の導入が自社にとってどのような効果をもたらすのかについて個別具体的に検討する必要があり、そのうえで、導入する場合には、現在の就業規則、雇用契約書、労働条件通知書等の記載内容を確認して、リスクを可及的に軽減できる具体的かつ現実的な体制の整備をする必要があるといえます。