タイの労働法制と実務 vol.15 労働訴訟手続

執筆:弁護士 藤江大輔、弁護士 靏拓剛国際チーム

これまで14回に渡り、タイの労働法制について概観してきました。
今回は、労働法制の一部として、タイの労働訴訟手続について概観します。
労働訴訟とは、使用者と従業員間の、労働契約や労働条件に関する訴訟を言います。
労働訴訟も民事訴訟の一部ではありますが、タイでは、労使間の紛争という特殊性から、通常の民事訴訟とは手続的に異なる部分があります。万が一、従業員との間で紛争が生じた場合に備え、そのあらましを知っておくことは大切です。

【目次】
労働訴訟の対象となる事件
労働裁判所の種別
裁判官など
労働訴訟の一般的な流れ
日頃からの適切な労務管理の徹底を

労働訴訟の対象となる事件

労働訴訟の対象となる事件は、以下のとおりです(労働裁判所の設立及び手続に関する法律8条1項。以下「労働裁判所法」と言います)。

(1)  雇用契約又は労働条件に関する規則に基づく権利義務に関する紛争
(2)  労働者保護や労働関係に関する法令に基づく権利義務に関する紛争
(3)  労使紛争や雇用契約上の職務に関する使用者と従業員との間の不法行為

つまり、労使間の雇用契約や労働条件に関する様々な事件が、労働訴訟の対象となります。典型例としては、残業代など未払賃金に関する紛争、解雇に関する紛争があります。
なお、上記(1)〜(3)の他にも、労働者保護に関する法令に基づく行政官の決定等への異議申立てなど、労働裁判所が担当する事件はありますが、ここでは便宜上省略します。

労働裁判所の種別

労働裁判所は、3種類に区別されます。バンコク及びその周囲を管轄するCentral Labor Court、各地方や地域を管轄する the Regional Labor Court及び Provincial Labor Courtです。 

裁判官など

労働裁判所に提起された労働訴訟は、裁判官と補助官によって審理されます(労働裁判所法11条)。
補助官とは、裁判官とともに職務を遂行するため特別に選任された者であり、労務に関して十分な経験や知識を有する外部の者から選任されます。補助官は使用者側、従業員側に区別され、必ず同数とされます。したがって、通常、裁判官1名、補助官2名(使用者側1名、従業員側1名)という構成となります。

労働訴訟の一般的な流れ

労働訴訟の一般的な流れは、おおよそ次のとおりです。

 (1) 原告による訴訟提起(訴状の提出)
 (2) 第1回期日・答弁書の提出
 (3) 和解期日×複数回
 (4) 争点の整理
 (5) 書証の取調べ
 (6) 証人尋問・陳述書の提出
 (7) 判決

(1) 原告による訴訟提起(訴状提出)

労働訴訟は、原告が、裁判所に対して、自分の訴えたい内容を記載した訴状を提出することにより開始します。また、提出したい証拠があれば、提出する証拠の標目等を記載した証拠一覧表を訴状とともに提出します。

原告は、原因発生地(勤務地)を管轄する労働裁判所に労働訴訟を提起しなければなりません。ただし、裁判所が許可すれば、原告又は被告の住所地を管轄する労働裁判所に提起することもできます(労働裁判所法33条)。

通常の民事訴訟を提起する場合、裁判所に予納金(裁判手数料)を納めなければなりません。しかしながら、労働訴訟の場合は、この予納金が無料となります(労働裁判所法27条)。
また、労働訴訟では、原告が代理人弁護士を選任していない場合、裁判所職員が、無料で、訴状の作成を手助けします。
したがって、個人である従業員にとっても、簡単に訴訟提起できる制度設計となっています。

訴訟が提起された場合、裁判所は、労働訴訟の第1回目の日時(第1回期日)を決定し、原告に通知します。また、被告に対して、訴状の写しや第1回期日の呼出状を送達します。実務上、第1回期日は、訴訟提起日からおおよそ2ヶ月後頃に設定される傾向にあります。

(2) 第1回期日・答弁書の提出

労働訴訟では、判決に向けた証拠調べ等の審理に進む前に、必ず、和解(話し合い)での解決が試みられます(労働裁判所法38条1項)。そのため、第1回期日では、和解の機会も持たれるのが通常です(第1回期日と分けて別日を第1回目の和解のための期日として設定することもあります)。

被告は、原告より提出された訴状に対して、答弁書(原告の訴状に対する反論書)を裁判所に提出することができます。また、提出したい証拠がある場合には、証拠一覧表を答弁書とともに提出します。
答弁書を提出せず、第1回期日に口頭で答弁する(反論を述べる)こともできますが、答弁の内容が細部まできちんと記録として残るよう、答弁書という書面として提出しておくべきです。

答弁書の提出期限は、第1回期日です(労働裁判所法37条2項)。実務上、この提出期限はそれほど厳密に運用されておらず、第1回期日には口頭で簡潔に答弁し、後日(例えば和解がまとまらないことが明らかになった段階で)、答弁書を提出するということも行われています。しかしながら、原則的には第1回期日が提出期限であり、その後の提出を許すかどうかは裁判所の裁量の問題と考えられますので、第1回期日までに提出できるようにしておくべきです。

(3) 和解期日

両当事者の和解に関する意思を踏まえ、和解がまとまる見込みがあれば、その後、第2回期日、第3回期日と、月に1回程度のペースで和解のための期日(和解期日)が開催されます。ただし、この和解期日が何度も繰り返し開催されるというわけではなく、3回までと理解しておくべきです。したがって、和解による解決を視野に入れる場合には、譲歩できるラインや条件を腹案として早めに決めておくことが必要です。
ただし、たとえ3回までに和解がまとまらずとも、その後、当事者間で、裁判所外で話し合いを続けることはできます。

和解がまとまれば、当事者間で和解契約書を作成します。そして、その内容に従う判決が出されます。これにより、労働訴訟は終了します。

他方、当事者が和解での解決を希望しない場合、又は、和解を試みたもののまとまりそうもないときには、和解の試みは終了し、判決に向けた審理に進みます。

なお、和解期日には、通常、裁判官は参加しません。裁判所が特別に選任した担当官が期日を運営し、和解の成立に向けて、進行役をしたり、各当事者に様々な提案を行ったりします。この担当官も、補助官と同じく外部の者から選任されますが、使用者側、従業員側各1名の合計2名とは限らず、1名のみとなる場合もあります。

(4) 争点の整理

和解での解決ができない場合、裁判所は、具体的な審理の第一歩として、事案の争点を整理する期日を設けます。期日では、両当事者の主張(訴状と答弁書)を基礎として、どのような争いがあるか確認されます。

また、この争点整理期日では、両当事者がどのような証人を申請するかということも確認され、証人尋問を行う期日も取り決められます。したがって、少なくとも争点整理期日までには、誰を証人として申請するか決定しておく必要があります。

(5) 書証の取調べ

争点の整理後、裁判所は、書証の取調べの期日を設定し、書証の取調べを実施します。

なお、前述のとおり、証拠を提出するためには、証拠一覧表を提出しなければなりません。この証拠一覧表は、原則として、第1回和解期日の7日後までに提出しなければならないこととされています。その期限までに証拠一覧表を提出せず、又は、その一覧表から漏れていた証拠を提出するためには、裁判所の許可が必要です。実務上、この期限は厳密には運用されておらず、裁判所は、期限後の証拠提出を許可する傾向にあります。しかしながら、あくまでも期限は第1回和解期日の7日後なので、それまでにきちんと証拠一覧表を提出すべきです。

(6) 証人尋問・陳述書の提出

書証の取調べの期日後、証人尋問のための期日が設定され、同日、証人尋問が実施されます。

通常の民事訴訟では、証人尋問時、まず、証人尋問を申請した当事者が、その証人に尋問を行い、その後、相手方当事者がその証人に反対尋問を行います。
しかしながら、労働訴訟では、原則として、裁判官が、証人に尋問を行います。当事者による尋問は、裁判官が許可した場合に限定されます(労働裁判所法45条2項)。実務上、裁判官は当事者による尋問を許可する傾向にあります。

なお、裁判所は、裁判所が適当と認める場合、又は、当事者からの求めに従い、証人尋問期日の7日前までに、証人の陳述書を提出するよう求めることができます。陳述書とは、証人の記憶や認識をまとめた書面です。証人尋問期日にあらゆる事項について逐一尋問していたら膨大な時間を要するといった理由から、あらかじめ陳述書を提出させるのです。
一般的に、証人にとって、法廷という場において、口頭で全てを淀みなく話さなければならないという事態は、大きな心理的な負担となります。上手く話せなくなったり、言い間違いをしてしまったりすることも珍しくありません。また、タイ語が話せない証人は、通訳人によって証言をタイ語に通訳してもらう必要がありますが、通訳人の能力や事案の複雑さ等によっては、通訳人が適切に通訳できない事態が生じるおそれもあります。
証人の心理的負担を少しでも軽くするとともに、証人の言いたいことを正確に裁判所に伝えるため、積極的に陳述書を提出すべきです。

(7) 判決

裁判所は、両当事者の主張、書証、証人尋問の結果を踏まえ、判決をします。いわば、その事件についての裁判所の判断を示すのです。実務上、判決は、証人尋問期日の1ヶ月後頃とされる傾向にあります。
訴訟提起から判決までの期間は、6ヶ月〜10ヶ月程度です。

労働裁判所の判決に不服がある当事者は、判決日から15日以内に限り、控訴することができます。ただし、控訴時には、法律問題を理由とする必要があります(労働裁判所法54条)。控訴審は、原則的に、労働裁判所の認定した事実を基礎として、控訴に理由があるか否かを判断し、判決をします。控訴手続に要する期間は4ヶ月程度です。

控訴裁判所の判断に不服がある当事者は、タイ民事訴訟法の規定に従い、上告することができます(労働裁判所法57/1条)。具体的には、控訴裁判所の判決日から1ヶ月以内に、最高裁判所に上告することができます。ただし、上告するには最高裁判所の許可が必要であり、また、上告できる理由は、公益や公序に関連する問題がある場合、重要な法令上の問題や最高裁判例との不一致がある場合などに限定されています。

 

日頃からの適切な労務管理の徹底を

以上が、タイの労働訴訟手続の概要となります。裁判官の他に使用者側、従業員側の補助官が存在し、まず和解が試みられるなど、大枠としては、日本の労働審判手続と類似した制度となっています。

一般的に、タイの労働裁判所は、従業員に有利に判断する傾向にあると言われています。しかしながら、これは使用者が必ず敗訴することを意味するわけではありません。使用者が適切な労務管理をしていれば、もちろん使用者の勝訴となります。したがって、使用者がことさらに労働訴訟をおそれる必要はありません。とはいえ、無用の紛争を避け、労働訴訟となっても自信を持って和解協議や判決に臨めるよう、適切な労務管理を行うことは必要です。
例えば、タイでは就業規則はタイ語で作成しなければならないこととされています(労働者保護法108条1項)。ところが、英語版や日本語版しか作成していないケースや、タイ語版があるものの英語版や日本語版と内容が若干異なっているケースがあります。このような場合、タイ人従業員に対して就業規則違反を主張できないことにもなりかねません。
雇用契約書や就業規則その他社内ルールを適切に作成し、適切に運用していきましょう。

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