タイの労働法制と実務 vol.13 雇用契約書とOffer Letterに関する運用上の留意点

タイの労働法制と実務 vol.13 雇用契約書とOffer Letterに関する運用上の留意点

タイでは、従業員の新規採用に際して、採用決定者に対しOffer Letterを出して採用条件を通知し、採用決定者からの入社誓約書等の提出を経て採用に至る場合が多くあります。今回は、そのようなOffer Letterと雇用契約書の違いや運用上の留意点について解説します。

 

【目次】

タイにおけるOffer Letterの役割

雇用契約書の必要性

雇用契約書に規定すべき事項

労務紛争を予防する観点から適切な実務運用を

タイにおけるOffer Letterの役割

タイにおいて新たに従業員を採用する場合、候補者に対して採用試験を実施し採用を決定した場合には、Offer Letterを出すことで企業側の採用決定の意思を通知することが一般的です。このようなOffer Letterは、日本で言うところの内定通知と同様の役割を果たしている点は、「タイの労働法制と実務 vol.10 採用内定と内定取消しをめぐる実務上の論点」 でも述べました(Offer Letterの法的性質と内定取消しについては同コラムを参照)。

 

もっとも、タイにおけるOffer Letterは単なる採用決定の意思表示にとどまらず、より具体的な採用条件、つまり重要な雇用条件(ポジション、試用期間、通常労働日・時間、月給、賞与等)を明記して通知することが一般的です。 つまり、Offer Letterには会社側からの採用決定の意思表示に加えて、特に重要な雇用条件の提示という2つの役割を果たしているといえます。

雇用契約書の必要性

一方で、別途雇用契約書を作成・締結する必要性はどこにあるのでしょうか。 タイの労働者保護法(以下「LPA」といいます。)では、従業員を採用するに際して雇用契 約書の作成は義務付けられていません。したがって、雇用契約書を作成しなくても法律違反とはなりません。 実際にタイの実務運用上、Offer Letterのみを交付し、入社に際して別途雇用契約書を作成・締結していない企業が散見されます。しかし、そのような運用は後の労働紛争の予防という観点からは不十分な対応であると言わざるを得ません。

 

前記の通り、Offer Letterではポジションや給与など特に重要な条件を明示するのが一般的ですが、すべての雇用条件を網羅しているわけではありません。したがって、Offer letterのみを交付している会社、特に就業規則がない会社においては、Offer Letterに記載のない条件は労働契約上の条件となっていない可能性が高いのです。

 

このようなケースでよく問題となるのは、賞与の取り扱いです。Offer Letterにおいて賞与に関し「1ヶ月分、年2回」などと端的に記載している場合、どのような状況下でも賞与は年2回、月給の2ヶ月分支給すると保証しているようにも読めるため、たとえ会社の業績が著しく悪くても、あるいは当該従業員の勤務態度や成績が著しく悪い場合でも、賞与を支給しないという選択を取ることができなくなるおそれがあります。この点、別途雇用契約書を締結していれば、「会社は賞与を支給することができる。ただし、会社は、その単独の裁量において、会社の業績、従業員の勤務態度、勤務成績等に応じて、支給しないこと、また支給する際の金額を決定できる。」などと規定しておくことで、会社に決定の裁量があることを明確に合意しておくことができます。

 

また、通常Offer Letterには遵守すべき服務規律が規定されていないことから、どのような行為をしたら会社の規律違反となるのか、また労働契約違反となるのかが明確でなく、実際に社員が問題行動を起こした場合に対処が困難となる事が挙げられます。この点についても、雇用契約を締結している場合には、雇用契約において規律事項を明記しておくことで、個別の問題行動に対して速やかにかつ明確に違反を摘示し、対処することが可能となります。

 

また、Offer Letterはあくまで会社側からの一方的な意思表示であるため、候補者(従業員)側の同意の意思表示を含みません。一般的には、候補者から入社誓約書ないし同意書の提出を受ける運用がとられていますが、このような手続が曖昧となっている場合には、後の紛争発生時において、Offer Letter記載の労働条件についても、従業員側の同意の意思表示が明確に確認できないと判断される可能性もあります。その結果として、Offer Letter記載の労働条件について、従業員と合意したとまでは言えないと判断されかねないのです。

 

そのため、Offer Letterを交付するだけではなく、労働条件全体を網羅し、また従業員側の同意の意思表示を含む雇用契約書を必ず作成するようにすべきです。

雇用契約書に規定すべき事項

雇用契約書を作成する際、労働条件や待遇についてきちんと明記すべきことは言うまでもありませんが、その他以下のような事項を規定すべきです。この点は、基本的には日本の場合と大きな差異はありません。

 

【雇用契約書に規定すべき事項】

雇用期間 期間の定めの有無(期間の定めがある場合はその期間)
職種等 ポジション、業務内容
勤務場所 勤務場所
所定労働日等 所定労働日、所定労働時間、休憩時間
休日 Weekly Holiday、Traditional Holiday
休暇 法定の休暇、その他の特別な休暇(有給・無給)
賃金等 基本給、手当、賞与、その他のベネフィット
服務規律 遵守すべき服務規律、懲戒処分等
秘密保持 秘密保持義務
知的財産 知的財産権の帰属
退職 自主退職、普通解雇、懲戒解雇、定年等

もっとも、就業規則がある会社においては、就業規則に記載されているもので当該従業員に適用されるものについては就業規則に規定する通り、といった規定の仕方でも問題ありません。

 

また、次の3点についてはタイでトラブルとなっているケースが多く見られますので、雇用契約書作成時にも十分に意識しておくべきです。 1点目は、業務内容・職種です。例えば、総務で働いていた従業員を営業に従事させるなど、配置換えを行う際、従業員から「営業職として働く可能性があるとは聞いていない」等と言われ、トラブルに発展することが少なくありません。そのため、従業員が従事する可能性のある業務内容や職種をきちんと雇用契約書に明記しておき、トラブルを予防することが必要です。

 

2点目は、従業員が遵守すべき服務規律です。これは、従業員を懲戒解雇しようとするときに問題となりやすい事項です。タイでは、懲戒解雇できる場合が法律上限定的に列挙されており(LPA119条)、その中の一つに「使用者が文書で警告書を交付したにもかかわらず、就業規則、社内規程又は使用者の合法かつ合理的な命令に違反した場合」があります。実務上、この規定を根拠として懲戒解雇するケースが多いのですが、従業員が明示的に定められた服務規律に違反したケースでなければ「就業規則、社内規程又は使用者の合法かつ合理的な命令に違反した」と言えず、懲戒解雇が無効とされてしまうおそれがあります。そのため、雇用契約書できちんと服務規律を明記しておくことが必要です。

 

3点目は、職務発明や職務著作など知的財産の取扱いです。例えば、タイの特許法では、従業員の発明について特許を受ける権利は契約で別段の合意がない限り企業に帰属しますが(特許法11条)、タイの著作権法では、従業員の創作した著作物の著作権が日本とは逆に書面での別段の合意がない限り従業員に帰属し、企業はこれを公衆に伝達する権利があるにとどまります(著作権法9条)。それゆえ、後々自社に知的財産権がないという事態や知的財産権をめぐるトラブルに陥ることを防止するため、雇用契約書でその帰属等について定めておくことが重要となります。

労務紛争を予防する観点から適切な実務運用を

以上のとおり、従業員を採用する際には、後のトラブルを防止するため雇用契約書を作成 しておくことが重要です。また、雇用契約書の内容については、特に就業規則がない場合には従業員が従事する可能性のある業務の範囲や起こりうる事態について入念に検討したうえ、できる限り不足のないようにしておくべきです。

 

 

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