タイの労働法制と実務 vol.10 採用内定と内定取消しをめぐる実務上の論点

タイの労働法制と実務 vol.10 採用内定と内定取消しをめぐる実務上の論点

今回は、タイにおいて採用内定通知を行う場合の注意点と内定取消しに関する論点について、日本の法制度との違いを踏まえて解説します。

 

【目次】

採用内定の法的性質

Job Offer Letter による内定通知と入社誓約書

日本における内定取消しの可否

タイにおける内定取消しの可否

内定者への対応も入社後の社員と同様慎重に

採用内定の法的性質

日本において、従業員の採用は、企業による労働者募集と候補者からの応募、採用面接その他の採用試験の実施、採用決定、採用内定通知書の送付、候補者からの入社誓約書の提出、入社に必要なその他の書類の提出、入社式ないし入社日における現実の出社といった流れで実施されることが一般的です。

このような採用過程において、採用内定という手続によってどのような法的効果が発生するのでしょうか。日本では、法令上は明確に定められていませんが、判例上一定の見解が示されています。

 

すなわち、企業の募集(申込の誘引)に対する候補者からの応募は、労働契約の申込みにあたり、このような申込みに対して企業が採用内定通知を出す行為は企業側の承諾にあたるため、採用内定通知により、企業と候補者との間に始期付・解約権留保付労働契約が成立すると考えられています(最判昭和55・5・30)。この「始期付」というのは、入社日を就労の始期とする条件が付されていることを意味し、また「解約権留保付」というのは、採用内定通知書や誓約書に記載されている採用内定取消事由が生じた場合は解約できる旨の合意が含まれていることを意味します。

つまり、これらの条件が付いているとはいえ、企業が内定通知を出した時点で、労働契約は正式に成立しており、内定通知を受領した候補者は労働契約上の社員としての地位を取得することとなります。もっとも、実際にはどんな場合でも始期付・解約権留保付労働契約が成立すると判断されるわけではなく、内定通知によって実質的に候補者が他社での就労機会を放棄していたといえるかについて、具体的な事実に基づき判断されます。

 

上記の考え方は、基本的には新卒採用の場合を中心に形成されてきたものではありますが、裁判例を見てみると中途採用の場合でも、枠組みとしては同様の考え方を採用しているようです。もっとも、中途採用の場合には新卒採用とは採用の流れが異なることがあるため、内定通知を出したとしても、労働条件について交渉中であるような場合には、まだ労働契約成立に至っていなかったと判断される可能性があります(最判昭和61・11・6参照)。

Job Offer Letter による内定通知と入社誓約書

タイの労働実務上、応募してきた候補者に対して採用試験を実施し、採用を決定した場合には、Job Offer Letterを出すことで企業側の採用決定の意思を通知することが一般的です。このようなJob Offer Letterは、実質的な採用内定通知といえますので、日本と同様の問題が生じ得ます。

では、タイではJob Offer Letterによる採用内定通知についてどのように考えられているのかというと、法令上も判例上も明確ではありません。もっとも、実務上、候補者からの応募⇒企業からのJob Offer Letterの送付⇒候補者からの入社誓約書の提出といった流れがあるのが一般であることからすれば、これら一連の手続きにより、少なくとも「労働を提供すること」及び「労働の対価として賃金を支払うこと」を内容とする申込みと承諾の合致があると考えられます。したがって、やはりタイにおいても、会社からのJob Offer Letterないしは候補者側からの入社誓約書の提出があった時点で、企業と候補者との間に労働契約が成立すると判断される可能性が高いと考えます。

 

もっとも、日本の場合のように「解約権留保付」の契約という考え方が確立されているわけではなく、労働契約の成立自体は認めた上で、段階によって企業と候補者との関係性が、労働関連法、特に労働者保護法(以下「LPA」といいます。)の保護を受ける関係性となっているか否かを分けて考えているようです。具体的には、以下で見ていきたいと思います。

日本における内定取消しの可否

次にどのような場合に内定を取り消すことができるのかについて見ていきたいと思います。 まず、日本では法律上内定取消しについて明確に定めた規定はありませんが、前記の通り内定通知の時点では、解約権留保付の労働契約が成立しているものと考えられますので、この解約権を行使することにより内定取消しが可能となる場合があります。

例えば、採用内定通知書や誓約書に、採用内定取消事由を具体的に記載しておくことにより、これらの事由が生じた場合に企業側は解約権が生じることを候補者側にも明示しておくことで、契約上の合意とすることができます。採用内定取消事由として一般的に記載されるのは、以下のような事由です。

 

【採用内定取消事由の記載例】

提出書類に虚偽記載がある場合
大学を卒業できない場合
身体・精神の故障で入社日からの就労の見込みがない場合
会社の経営難等のやむを得ない事由がある場合
自己の都合により会社集合研修に参加できる見込みがない場合

もっとも、判例上、内定取消しは客観的に合理的で社会通念上相当であることが必要とされていますので、採用内定取消事由として記載されている事由であっても、客観的・合理的相当性が認められない場合には、内定取消しが認められない場合もあり得る点には注意が必要です。また、逆に、客観的・合理的相当性があると認められる場合には、たとえ採用内定取消事由として記載されていなかったとしても、内定取消しが認められる場合があり得ます。

 

内定取消しが違法・無効と判断された場合、内定通知を受けた者は労働契約上の社員としての地位があることとなります。ただ、このような社員としての地位の確認とは別に、企業は違法な内定取消しについて、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償義務を負う場合があります。日本では、慰謝料や別会社に就職できるまでの期間の給与相当額が損害賠償額として認定されたケースがあります(最判昭54・7・20、福井地判平26. 5 .2)

タイにおける内定取消しの可否

それでは、タイではどのような場合に内定取消しが認められるのでしょうか。 内定取消しについても、法令上の明確な規定はなく、その可否は個別の事案ごとに判断されます。

もっとも、タイの裁判所は就労開始前に労働契約を解除する、いわゆる内定取消しをする場合には、比較的緩やかに認める傾向にあります。

すなわち、企業と候補者との間に労働契約は成立していることを前提とした上で、就労開始前であることから企業と候補者はまだLPA上の使用者ー労働者の関係にないため、LPA上要求される事前の解雇予告やそれに代わる解雇予告手当、解雇補償金、また不公正解雇に基づく損害賠償等の支払いなく、労働契約を解除することができると考えているようです。

もっとも、契約解除に合理的な理由がない場合には契約違反となるため、契約の一般法理に従って一定の損害賠償義務を負うと判示したものも複数あります。

 

契約解除に合理的な理由があるといえるかについても個別判断によることとなりますが、例えば大学を卒業できない場合や身体・精神の故障で入社日からの就労の見込みがない場合などについては、契約上の義務である労働の提供という債務を履行できない以上、また民商法579条に照らしても、合理的な理由があると判断される可能性が高いのではないかと考えます。一方で、経歴詐称については、その経歴が当該企業において業務遂行能力に影響する重要な要素である場合には合理的な理由があると判断される可能性がありますが、そういった能力に影響しない点について虚偽があっただけでは、合理的な理由があるとはいえないと判断される場合もあり得ると考えられます。

 

以下、就労開始後の判例ではありますが、いくつか参考になるものを紹介します。

 

【経歴詐称があった場合】

最高裁は、採用段階で学歴詐称があったことが就労開始後に発覚したために従業員を解雇した事案について、雇用における重要な要素は業務を遂行するに足りる能力や経験であって学歴は重要な要素ではないこと等を理由として、就業規則違反はないと判断しました。

 

【内定後に私生活上の非違行為が発覚した場合】

最高裁は、過去に違法薬物の販売により有罪判決を受け収監されていたことが就労開始後に発覚したために解雇した事案について、結論としては解雇補償金を支払えば解雇できると判断したものの、従業員の身体に薬物の影響がないことや収監されていたのが雇用前であったことに言及しました。

内定者への対応も入社後の社員と同様慎重に

今回は、採用内定の法的な性質と内定取消しの可否について概観しました。この点についての考え方や大きな判断枠組みは、タイも日本と類似していると理解できます。安易に内定取消しを行い、違法ないし無効と判断されてしまうと、損害賠償支払義務を負うなどのリスクが生じ得ますので、内定通知を行ったあとは、労働契約がすでに成立している可能性が高いことを十分に理解した上で、慎重に対応していく必要があります。また、このような内定取消しの問題を生じさせないためにも、面接段階でしっかり応募者を吟味することが大切です。

 

 

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